理想のくらし

猫と暮らしたいとか、山に住みたいとかいろいろ思うけど現実的な理想の暮らしをいうと、ちいさなワンルームに住んで最小限の好きな家具を置いてすきなひとと静かに暮らしたい。月に1回はドライブに行きたいし、ワンシーズンに1着はすこしいいワンピースや靴を買いたい。そこそこおいしいお米で毎日ご飯を食べたいし、気になったカフェを休日に友達と巡りたい。すきにお金落としたい。最近の流行りで物が少なくとか、グレーのシーツとかタオルとかがいいとか、そういうふうに思ってるのならこの理想も数年後には変わってるのかな。

子供を産み育てることは義務だと思ってるところがすこし自分にはあって(子を育ててこそ人間として成長するみたいな もちろん違うのもわかってはいる)、でもじゃあ具体的にいつになったらできるか問い考えるといつまでもないし、そもそも一緒に暮らしていけるひとと出会えるのかもわからない。生まれ育った環境が違う人間同士が一緒に暮らすなんて難しいと思う。わたしはそう思うけど、世の中はみんなそうやって生きているから……すごい…という気持ち きっとみんなお互いを思いやって生きているんだね。 生きてると人生とは………みたいなことを永遠と考えちゃうんだけど友達に話すと考えすぎだよ…っていわれる。わかる。あとこれしかわたしには話せることがなくて最近暗い話にしかならないので悩んでる。考えたくなくても考えちゃうだってそのうちみんな結婚して子育てするでしょ、でもわたしはそれになれないだろうからそしたらって考えちゃうそれでもそれなりに生きてくしかないし生きてくんだけど その時が怖いからいま考える今考えてもどうにもならないのはわかってるけど考えずにはいられないの こういう時のために本はあるのかもしれない 考えなくて済むようにって思って本を読むと本の内容から自分のことに当てはめてまた考えちゃうんだなあ あーあ

眠れないよるだから

今月23歳になったし、うれしかったことを忘れないために書き出そうと思う。

23歳というと自立してきた歳みたいに感じてしまうけど(少なくとも10代のわたしはそう思っていた)もちろんそんなわけもなくて勝手に給与からひかれて最低限の国民の義務として納税をしているくらいで他は10代の頃の自分と何も変わっていない。だけど、わたしはいましあわせだと思う。2年前から言ってるけどこの数年がわたしの人生のピークだと本気で思っている。

 

誕生日を迎えた0時に好きな友達から動画が送られてきた。付き合ってるひとがいきたがってたお店を予約してお祝いしてくれて、家族は家でご飯を作って一緒に食べた。誕生日前後に会った友達たちはわたしがすきなミッフィーグッズをくれた。お店に並んだミッフィー をみて、わたしを思い出してくれたのだと思うと嬉しくてすこしうるうるしてくる。(うさぎのブランケットもたぶんミッフィーから なのかな)

 

いい人間じゃないし、何も持っていないわたしだけどわたしには誕生日を祝ってくれる家族がいて友達がいて付き合ってる人がいるんだということに胸がいっぱいになった。生きててよかったな〜なんて1年で数えるほどしかないけど、こういう日のために他のつらくて、悲しい日もあるんだねと思えた。

最近特に、生きてることは修行だと感じていたけれど、悩みながらでも生きてることが大切なんだと綺麗事だけど思ったから生きづらいけどがんばっていきていきたいな

他人を大切にできないのでもう誰かと一緒に生きようと思うのやめようと思う 早々に諦めたほうがいい 寂しくても1人でなんとか生きてけるとこまで生きてみようと思う 友達に期待しすぎるのもやめたい 今でもどうせ別れるなら付き合わなければいいのにと一周回って思う わたしは孤独に生きていきます 22さいですがもう疲れました、わたし

あと顔がいい女 女が整形するのは自分のためと言いつつも男がいるからだよ ほんとに 

好きな人の名前

学校を卒業して仕事を始めてからずっと辛い時に好きなひとに会いたいって考えてたから今どうでもいいと思ってるのに辛いと感じると◯◯くんに会いたいって思ってしまう 癖は怖い 生霊として現れてないか不安になる 大丈夫ですこの気持ちはもう卒業してるので ◯◯くんに会いたいを早く消したい 何に変えたらいいんだろう

 

きっといつか大丈夫になる

と思って生きているのに全然大丈夫にならない 学校で授業受けて課題こなしてテストしてたときなんて傷つくことはそうそうなかったけど働きだしてからはそうはいかない お給料いらないから一生学生していたい 立派な学生とは程遠かったけど

数年前に適応障害の診断をもらった その原因が解決したから何もなくなったけれどやっぱり些細なことでそのときみたいに戻って、涙が止まらなくなる

あのときは感情の起伏がものすごく激しくて付き合ってる人が困惑してた こんな気持ちに一生のうちに全然ならない人もいるのかと思うとどうして自分は全てにおいて不器用なのか 生きてることが苦しくなる 生かされていることがもちろん幸せなことだとは思うけれど、生きてるから幸せとは限らない

いま ずっと酸欠状態で生きてるみたいで深く息が吸えない

考えてるふりをしたり、悩むのが趣味なんだと思う

答えが出ないことに対してあーだこーだ考えてしまう この人がわたしのことを苦手と言うよりも嫌いだと感じていることに察してしまって、接するたびに憂鬱になる 生きていてなるように本当に人生なるのだろうか 学生の時の自分が思い出せない

一人でいるのが苦手で、だれかと一緒に時間を過ごさないとつらい 自分が空っぽなことがわかってしまうから 人が求めてる反応をするように嫌われないようにすればするほど距離がうまれる 

発見

結婚についてよく考えているんだけど、最近思ったことがあった。結婚したい、子供が欲しいっていうのはなぜそう思うのか、というのは突き詰めれば自分が育つ過程で親がしあわせそうに見える、また親が子供を育ててしあわせに見えたから、自分もそうなりたいんじゃないかと思う。わかりやすく好きな人と一緒にいたいから、や、子供が可愛いから、好きだから、という人もいると思うけど。というかみんな子供が好きなのが当たり前なのか…?

わたしは子供は怖いし、子供がいる人生も怖いと思う。でも、それはわたしがどこかしらか足りなかったり、曲がっているからであって、普通は可愛いものなんだろうな わたしは一人っ子なのもあるし、親がわたしに接しているのを客観的に見たこともない、兄弟がいたらまた違ったのかもしれない。兄弟に向けられる親の目をみて、子供はいいものだと思えたのかもしれない。もしくは、兄弟と接していてそう思えたのかもしれない。自分より年下の兄弟なら必然的に。人の家庭の幸せな話を聞くと胸があったかくなるし、素敵だと思えるのに不思議だなと思う。もしかしたら素敵だと思うべきで思っているのかもしれない それだとしたら救われない

 

ほんとうのさいわいとは他者のために何かをすることなんだと思う わたしにはまだできないけど

今付き合ってる人がそれを当たり前のようにたくさんできるから、認めたくないけどわたしはそこがすきなんだねきっと